ピンピンコロリの二差路
- DEVILmama
- 2019年9月19日
- 読了時間: 3分
更新日:2024年10月28日
30代のある日、とあるピンピンの二差路に差し掛かる。そこには看板が。
左:50歳を迎えた日に心臓発作でコロリ。右:80歳を迎えた日に老衰でコロリ。
さあ、どっちを選びますか。
右、混みそうですねぇ。80歳まで健康で生きて、老衰で死ぬ。素晴らしい。
じゃ、その道開いてよく見てみよう。
50歳から80歳まで病気はなくとも老いは付きまとう。どこが痛い、ここが痛い、シワができた、シワシワだ、シミができた、真っ黒だ、眠れない、尿が漏れる。病院行ったってそれはピンピンの範疇です。幾つだと思ってるのあなたの空気感じて薬どっさり出されて。最終的に動けなくなって、自分で何にもできなくなって2年、もしくは5年、もしかしたら10年。でも健康って言われちまう。内臓だけはピンピンしてるのにねぇ。ちょっとの骨折でねえ。って、現代ではよくある話。そしてやっと食えなくなって1ヶ月の地獄をさまよい、死への究極の地獄の苦しみを経て、やっとあの世へ旅立てるのでした。さよーならー。
まだまだ若かったあの時に一瞬の苦しみで旅立てた、あの左の道・・・。私は僕は間違っていたのだろうか。ま、それが運命。だけど、右を目指すかたの多いこと。サプリメントだなんかで補給したって同じですよ、病院なんてもっと悪い。そのお薬が病気の元でございます。医者薬剤師の飯の種にされております。あなたの健康を不健康にすることによってでございます。よくお考えになって。とまあ、真実まで示されてもなお、きっと右が混むのです。しかも右って不平不満で満たされます。痛いといとか辛いとか老いは嫌だとか。ああ反吐がでる。だから言ったじゃありませんか。右へすすめの老人を老いぼれって言うんでしょう。老いと付き合うのは死と付き合うようなもの。時として受け入れ難いのが死より老い。死んじゃったらわからないけど、生きてる限り自分が老いるのはようくわかるのだ。死にたくないから80歳でコロリを選んだのに、その30年間、老いの確認をつまり死の確認を日々深めながら生きていくのだ。矛盾に満ち満ちている。
じゃ、次、左見てみましょう。人生50年、一生懸命生きてやる。だって僕、私、やりたいことあって。何かやろうと思えば、なんだって50歳までじゃあありませんか。いや、じつは45歳でありまして、そこまでに何もできなきゃ、潔く死にたいのであります。僕、私、他人のことなんてどうでもいい。自分個人としての限界は50歳、否、45歳にある。そうじゃあ、ありませんか。それで左を選びました。それが50歳を迎えた日に、心臓発作にならなかった。いやなっていたのであるが、ただの心臓発作である。蚊に刺される程度の発作もあるのであーる。で、コロリできなくて結局75歳まで生きたそうな。中にはそんな人もいるのであるさ。じゃんねんなことに、看板で示されたコロリまであともうちょっとのとこでたどり着けなかったのである。そして右の道のような不平不満はない。痛いや辛いは当然のこと。だって看板に痛くないとか老いないとは書いてなかったぞ。だからそんなことで病院になんかへも行かなきゃ、サプリメントやお薬なんかも無縁である。だいたいこっちは50歳で死ぬつもりだったのです。それが50歳まで必死でやりたいことやってたら、それが死ぬまで面白くて、なぜかいつまでたっても死ななくて。痛いとか、シワシワとか、関係なし。で、寝込んで地獄の数日間を経てあの世に召されましたとさ。ああ、なんて気持ちのいいご老体。
ピンピン二差路の物語。 左の道は空いてますよ〜スイスイ行けますよ〜。元々が少ない上に大体が50歳で心臓発作でめされるので、専用道路も夢じゃない。空気のうまい、景色の良い、気持ちのいい人生です。しかもほぼほぼ50歳でコロリできます!約束します!
(左だよ〜、左だよ〜、右の矢印に気をつけて〜)
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